法話
2015年10月08日
「何んともない坐禅」櫛谷宗則師と坐る「禅と法話」(9月26日・27日開催)
2015年9月26日・27日、櫛谷師による「禅と法話」がおこなわれました。
毎年この機会を楽しみにしているとのお声も多くあり、ありがたいことに、
今年も遠くは九州や四国からも足を運んで下さりました。
7回目となる今回は初めて来られる方も含め、ひとクラス50人以上の方々とのご縁をいただき、
共に坐る歓びを共有させていただくことができました。
◎賀代さん
現在、仕事と家庭の両立で悩んでいたのですが、本日の話を聞いて、その悩みは自分で作り、
自分の悩みでがんじがらめになっていたのだと気づきました。その問題は「ただそこにある」だけ。
問題そのものを受け入れ流すこと。「ただそれだけ」なのだと教えていただきました。
気分も楽になり、今日より自分の人生が違ってみれるような気がします。坐禅も初めてでしたが、
その場の「空気」になれた気がします。全く意識せずにただ今の自分に向き合うだけ。
お会いできてとても嬉しく思います。ありがとうございました。
◎前田さん
素敵な禅師だなあ、と毎回新鮮に思わせてくれます。
何だかつかみきれない広々とした中で生きているんだなと気持ちよくなりました。
途中、あっ、と何もないゆるぎのないものが
自分の奥深くに横たわっているのを感じながらとても落ち着いて気持ちよかったです。
坐禅中、スッと突き抜けた気持ちのよいとても静かな世界に入って満たされて涙がじんわり出ました。
自己の存在価値を自身において見いだす。これこそそうなんだと腑に落ちました。
◎村田さん
非思量というお話では自分というものが、ポーンと空間に放り出されたような
少しこころもとないような非思量を感じることで自由になれるような感じがしました。
坐禅を一緒にさせていただき、するするとイカリを下ろしていってる感じで、
足はとても痛かったのですが安定感を感じました。
◎蔦さん
このたび初めて禅師の法話を聴き、その中で命の大切さを改めて深く感じました。
何にもとらわれず生きていけるようにしたいとつくづく思いました。
「思いを越えれるように!」「命があるのが幸せ」「授かりの命」大切にします。
感謝。坐禅後、世の中がきれいに見える!これは何?
premasatsanga at 00:17|Permalink│
2014年10月04日
「ありのままに深まる坐禅」櫛谷宗則師と坐る「禅と法話」(9月27日・28日開催)
2014年9月27日・28日、櫛谷師による「禅と法話」がおこなわれました。
毎年この機会を楽しみにしているとのお声も多くあり、ありがたいことに、
今年も遠くは九州や四国からも足を運んで下さりました。
6回目となる今回は初めて来られる方も含め、ひとクラス50人以上の方々とのご縁をいただき、
共に坐る歓びを共有させていただくことができました。
◎鈴木さん
「ぶっつづきの命」、力強い音に感動いたしました。恵みと光りに照らされて、今、今、、、を生きる。
日頃の生き方を今一度確認させていただきました。また機会あればお話を聞かせていただきたいです。
「ぶっつづきの今」を輝かせる為に!
◎なえださん
今年も心に響くお話ありがとうございました。後半涙流してしまいました。
これからも、今、今、を大切にいきてゆきます。
◎松下さん
思いの中で右往左往して止まぬことはありませんが、思いを握りしめている
おろかさ、恐ろしさを感じます。光の方へ、風の方へ、向かって行ける
うれしさを感じます。
◎遠藤さん
定年退職して7年。最初はとても開放感に浸れましたが、一年一年経つうちに、はや67歳。
生命の時間を考えるようになりました。生命の中で生かされていることを知覚するには、
本日のように「命」の言葉を聞き、そして行なうことを改めて痛感しました。ありがとうございました。
◎木村さん
今回、櫛谷老師のおっしゃる「ひかり」の意味がまた深くわかったように思います。
思いや過去の出来事に意味付けしたものに触れることは全く意味のないことで、反省したら手放し、
ただその「ひかり」だけを見て生きていけば良いのだと思いました。過去の出来事をせつなく思う心が、
手放しながらもまた湧いてくる。そのせつなさはせつなさのまま置いておいて、
ひかりの方向だけを見て生きていけば良いのだと思いました。
本当にたくさんのことを教えていただきありがとうございました。
premasatsanga at 11:47|Permalink│
2013年10月08日
「いただく坐禅」櫛谷宗則師と坐る「禅と法話」(9月28日・29日開催)
2013年9月28日・29日、櫛谷師による「禅と法話」がおこなわれました。毎年この機会を楽しみに
しているとのお声も多くあり、ありがたいことに、遠くは九州や四国からも足を運んで下さりました。
5回目となる今回は定員を遥かに超え、会場は早くからいっぱいに!
古くから櫛谷師とご縁あるかたも集まり、共に坐る歓びを共有させていただくことができました。
ここに、参加者の声を集めてみました。
◎木村 美智子さん
坐禅について、ご老師様のご本で勉強させていただいていますが、生のお声で
お話を聞かせていただいて、ぼんやりとしていた「御いのち」や「生死」のことが、
少し輪郭を帯びてきたように感じました。今回は、三回とも受講させていただくことができ、
とてもありがたく思います。
◎森本 章子さん
大変充実した時間をいただきました。「宗教」に対して興味あるものの
「信仰」の本質には全く興味を向けたことがなかったのですが「生死」のお話に
何かえるものを感じました。人間臭い感情、思いが、近頃希薄になってきたことに対して
逆に不安を感じながらの日々だったのが、少し考えが変わりそうな気がします。
また機会ございましたら参加させていただきたく思います。
◎木村 夏子さん
「雨は雨の世界しか知らない」この話はよく分かりました。一人一宇宙、
私は私の世界を生きているのだと、妙にハッキリした気がします。
それだけでもありがたいことです。自分の命が今ここにしかないことも、
生と死が一つであること、自我の火を吹き消し、御いのちに立ち返ること、
やはり本では深められない、ご老師様の法話の力を感じます。
◎土岐 良順さん
ひさびさに櫛谷様のご法話を聴かせていただきました。いただく坐禅ーー。
もらいっぱなしの自分。改めて感じ入りました。
皆さん、聴きたくて来ている方ばかりですので、大変入りやすい雰囲気でありました。
またのぞいてみたいです。
premasatsanga at 01:23|Permalink│
2012年10月17日
「生きる坐禅」櫛谷宗則師と坐る「禅と法話」(9月29日・30日開催)
2012年9月29日・30日、櫛谷師による「禅と法話」がおこなわれました。
毎回人気のこの講座も今年で4回目となります。「坐禅や法話は難しい、と思わずにとにかく体験して欲しい、」
そんな思いで櫛谷師をお招きしています。毎回、遠方はるばるお顔を見せて下さる熱心なかた方が
とても印象的でした。ここに、参加者の声を集めてみました。
◎若山 富子さん
・坐禅とは「坐禅の光に包まれる、ただ包まれるだけ」
・私自身が私を慈しんでいる姿が坐禅
・坐禅は生きる芯
初めて参加させていただきました。深いお言葉をたくさんいただきました。
ありがとうございました。
◎秋吉 弘一さん
今、ここ、私、坐っている。雨の音、車の音、色々な想いが浮かび、そして
いつの間にか消え、流れている。想いが無くなる瞬間がある。
安心感、とても平和な感じがする。ここに存在する私。生命がある。自分の
想いを超えた授かりを感じる.表面的でなくより深くその生命を自分らしく
輝かせて生きたいと思います。
この場にこれて、また、体験できありがとうございます。
◎山内 康行さん
・今、ここ、自分からすべてを始めること。そして
・今、ここ、自分はいわば天地宇宙の「仮身」というか「七光り」を受けて
いる自分であること。
・今、ここ、自分と天地宇宙はひとつのものであること
そしてそれを実現するのが坐禅であり日常的には想いを手放すことである。
生きる基本を分かりやすく教えていただいき、ありがたく感謝いたします。
◎嵐 成子さん
これさえなければいいのにな〜、と思うものもある。
これさえあればいいのにな〜、と思うものもある。それはよくという点では
同じもの。自分と他を比べうらやましいと思う心。自分は自分の生活。
いまここからはじめればいいのだ。坐ることでそう言う想いが無くなればい
な〜と思った。しかし、あってもいいのだ。そう言うものも含めて「私」と
いう自分。禅師さまの、自分が自分を生きる、私が私の生命を生きるので
す。というお言葉に私の日々に光が射し、目の前が明るくなりました。
私の細胞の中に坐禅のいのちがあり、私そのものが坐禅でできているのでは、
と感じました。私が私の生命を生かしていただく、すべてが私の中にあり、
天に命を生かしていただいてるのだ......心がうれしくふるえています。
premasatsanga at 22:15|Permalink│
2011年10月07日
「生きる坐禅」櫛谷宗則師と坐る「禅と法話」(10月1日・2日開催)
「生きるの坐禅」櫛谷宗則師と坐る「禅と法話」
2011年10月1日・2日、流れる雲の美しい秋晴れの日、櫛谷師による「禅と法話」がおこなわれました。「坐禅は初めて」とおっしゃる方が多いという事でしたが、参加者の坐禅に取り組む真剣な姿勢が、スタジオの空間を清く統一しているようでした。今この一瞬一瞬、新しい自分を生きていくための気付きとなるお言葉をたくさんいただきました。そして約1時間の法話の後、櫛谷師と共に座らせて頂くという貴重な体験もさせていただきました。坐禅が終わった後の皆さんの晴々としたお顔が印象的でした。ここに、参加者の声を集めてみました。
◎灰原 雅子さん
今、ここ、あなたは、どのように生きているのか?
今、ここに生きている私の真実は何か?
今、ここで真心を尽くして生きるとき、忘れてしまった天上での自分を想い出す。
とても深い言葉だと思います。心の深い部分に響きました。
坐禅をしているとき「自分にするべき事をやりなさい」といわれた気がしました。
◎Oさん
坐禅中、傍観者に成っていたのが、
ある時点で頭上から突如、真実が・・・
坐禅と成りきった。
まったく、坐禅は傍観している事で
はいけない、坐禅に成りきる!
◎吉田 千恵さん
素直になる、あるがままに生きる。シンプルですが、とても心に響きました。
思いは脳の分泌物、とうかがい、ふっと気持ちが楽になりました。
春の小川のせせらぎを見ている様な、そんな気持ちに成りました。
坐禅を一日一日取り組んでみようと思いました。
2011年10月1日・2日、流れる雲の美しい秋晴れの日、櫛谷師による「禅と法話」がおこなわれました。「坐禅は初めて」とおっしゃる方が多いという事でしたが、参加者の坐禅に取り組む真剣な姿勢が、スタジオの空間を清く統一しているようでした。今この一瞬一瞬、新しい自分を生きていくための気付きとなるお言葉をたくさんいただきました。そして約1時間の法話の後、櫛谷師と共に座らせて頂くという貴重な体験もさせていただきました。坐禅が終わった後の皆さんの晴々としたお顔が印象的でした。ここに、参加者の声を集めてみました。
◎灰原 雅子さん
今、ここ、あなたは、どのように生きているのか?
今、ここに生きている私の真実は何か?
今、ここで真心を尽くして生きるとき、忘れてしまった天上での自分を想い出す。
とても深い言葉だと思います。心の深い部分に響きました。
坐禅をしているとき「自分にするべき事をやりなさい」といわれた気がしました。
◎Oさん
坐禅中、傍観者に成っていたのが、
ある時点で頭上から突如、真実が・・・
坐禅と成りきった。
まったく、坐禅は傍観している事で
はいけない、坐禅に成りきる!
◎吉田 千恵さん
素直になる、あるがままに生きる。シンプルですが、とても心に響きました。
思いは脳の分泌物、とうかがい、ふっと気持ちが楽になりました。
春の小川のせせらぎを見ている様な、そんな気持ちに成りました。
坐禅を一日一日取り組んでみようと思いました。
premasatsanga at 07:54|Permalink│